当院の歴史
「よこやま内科小児科クリニック」は、父が昭和51年に巴波川沿いに「横山内科医院」を開設し、平成9年より継承した私が平成15年に現在地に移転し、今に至っております。

そもそも何故父親がこの栃木の地で開業をしたのかというと、現在、栃木市が運営管理する横山郷土館が父親の生家であったからです。

水戸藩の武士であった初代横山定助は江戸時代の終焉によりに栃木に移り住み、商人となり、この地域の産物である麻を扱う問屋として商売を始めました。その後、(私からすると祖父にあたる)2代目横山定助が規模の拡大に成功し、順風満帆な日々を送り、市長という職にも就きました。しかしながら、就任して間もなくの11月に、横浜で行われた全国市長会議に出席した際、風邪をひき、そこから肺炎を併発、急逝してしまいました。ちなみに、この祖父の命日が12月4日で、私の誕生日が12月4日です。

当時、尋常小学校3年生か4年生程度であった父は、養女夫婦のもと育てられていましたが、当時の日本は軍国主義から戦争への道を歩むことになり、横山家は家業を守りつつも規模は縮小されていきました。また太平洋戦争も勃発し、混沌としたとき、父は医学の世界を選び、家業に関しては終戦後の様々な改革の影響から、その存続は不可能となってしまいました。医療の道にのみ進むことにした父は、紆余曲折を経て、生家のそばで開業をすることになったのです。私は小学生まで小山市に住んでおり、その当時、父は小山市にある小山中央病院に勤務しておりまして、その働きぶりを感じる機会が多々ありました。また、父が栃木市に開業してからはなおのこと、身近に医療の尊さを感じることが多くなり、漠然とではありますが、やりがいのある職種であると感じるようになっていきました。

何とか医学部に進むことができた私は、平成元年に卒業、そして医師国家試験に合格し、卒業した大学病院で、医師としての研修を重ねておりました。私が大学6年生の時に父は体調を崩し、それでも何とか仕事を続けておりましたが、平成9年11月に68歳で人生の幕を降ろしました。このことがきっかけとなり私は栃木市に戻り、亡き父のクリニックを継承いたしました。しばらくは、父がつくったクリニックで仕事をしていましたが、建物の老朽化がすすみ、建て替えを検討せざるを得ず、それを機に現在の場所へ移りました。名称も「よこやま内科小児科クリニック」と変更しまして、現在に至っております。



院長の思い
現在、医療は細分化が進み、疾患群または臓器毎に専門家が養成されているのが現状です。
大学病院をはじめとする高度医療機関ではスペシャリストが必要でありますが、
地域医療を担う開業医は、幅広い疾患・年齢層を診ていく必要があり、必要とあればその道のスペシャリストに繋げていくことも役割のひとつであります。
何か体に心配があったら、何か困ったことがあったら、どの診療科に行けばいいのかわからなかったら、そんなときに頼りにされる医師であり、医療スタッフであり、そんな医療機関になることを目指して日々の診療に取り組んでいます。



クリニックスタッフ
クリニックでは、日々変化する医療に関して、院内勉強会や研修会の実施、外部講師による接遇指導などにより、知識・資質の向上に努めております。


理念
「よこやまクリニックは来院してくださる全ての皆様に、健康という幸せを提供いたします」
policy
☆よこやまクリニックは医療に携わるプロとして
 患者様から信頼されるクリニックを目指します。
☆常に患者様の立場に立ち、心のこもった、
 温かい対応をします。
☆一人一人の患者様にあう最善の医療を提供します。
promise
スタッフが仕事に対し、誇りと幸せを感じられるよう努力します。また、働きやすい環境づくりを心がけます。
acttion
1.来院くださる方の安全を最優先します。
2.院内外は気持ちの良い清潔さを常に保ちます。
3.来院される方には優しい笑顔で接します。
4.仕事はミスのないよう、細心の注意を払います。
5.患者様の要望には迅速かつ的確に対応いたします。
6.プロとしての意識を持ち行動します。
7.チームワークを大切に、お互いを認め合い、
  尊敬し、信頼します。
8.守秘義務は徹底します。
9.最新の知識を得るため勉強します。
10.  常に向上心を持ち、前向きに行動します。

当院の施設基準について